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2012年10月31日

徒然なる神無月

 


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『 いい思い出ができたね 』

何気なく投げかけられるその言葉が、
自ら口にもしたりする至極ありふれたフレーズが、本当は少し、こわい。

今は、思い出を作ることが、こわい。
時が一刻一刻と流れ、過ぎ去って過去となり、
思い出となって積み重なっていくことが、こわい。

それが楽しく、貴いものであればあるほど、こわくなる。


オモイデは想いの深さであり、そこに縛られたままの苦しみを知っているから。
オモイデさえ無ければ、もっと早く楽になれていると思うから。
オモイデを大事にしすぎてしまったから。

大事にしすぎて、
その名の付いた箱の蓋をなるべく開けぬよう目を背けることすら、大きな力が要るから。


けれど、時の流れを止めるのは不可能であり、
時を遡ってやり直すことは、
どんなに強く願っても、誰がどうしたとしても、絶対にできないから。

過去がもう一度そのまま戻ってくるわけではない
という、当たり前のことをちゃんと理解する。
オモイデを再びなぞることは決してできないのだ、と。



あっけなく過ぎてしまう満ち足りたひと時は、本当に儚いものだった、と…
その一秒一秒を、もっともっと大事に噛み締めておけばよかった、と…

あれだけ後悔して、だからこそ今は自分に繰り返し、誓う。


いい思い出よりも、 「今」 。
その瞬間しか無いこの一時一時こそを、大事にするように。

一刻一刻、こぼれていってしまうのを惜しみながら、
でもいつも笑顔で溢れている。そんな時間を紡いで連ねられるように。

掛け替えのない 「今」 と、改めて思えるようになった喜びを素直に感じるように。

「今」 に没頭して、
他のことは何も考えなくて済むくらい、 「今」 だけに溺れるように。


何故なら、 「今」 こそを見ていないと、必死にしがみついていないと、
悲しみに引きずられそうになるから。
記憶に刻まれた恍惚に呑まれて一杯になってしまうから。


優しかった出来事は、過去形。オモイデの中のもの。


過去と比べない。
後ろを振り返る限り、それ以上の何かを得ることはできない。
思い出に執着しすぎない。
「今」 という、掴んでは消えゆく一瞬の価値こそを大事にする。


オモイデは過去のものだ、と早く悟って、そこから逃げて楽になって。
過去への愛着を、手離す。
再びなぞって味わいたいという欲望を、捨てる。


思い出とは、
過ぎ去ってゆく時間の副産物であり、只それだけでしかなく、

それに想いをかけて大事にしすぎず、執着せず、
「今」 の連続を存分に味わって過ごす。

願わくば・・・ 僅かな欲を言うなれば、
思い出よりも、過去よりも、
そこに小さな光をやっと見出せた 「“近い”未来」 を想像しながら。


「今」 目の前にある優しい時間と、 「“近い”未来」 の積み重ねで、
オモイデから、
行き場のない想いから、
心の奥底に押し込めて隠した悲しみから、
麻薬が抜けていくのを待つような苦しみから、
時折襲われる、どうにもならない漠然とした不安から、
いつか解放される時など本当に来るのだろうか? と・・・

今はまだ、 「“遠い”未来」 には、そんな淡い期待くらいしか夢見ることはない。


そこに一点の曇りもなく完璧なシアワセなんて、もう。







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posted by 蜜 at 23:54 | TrackBack(0) | others>ひとりごと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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