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2010年07月18日

いつか実を結ぶ上海生活のために -3-

 
 自ら自己のうちなるすべての毒を探求し汲み尽くして、その精髄のみを保存する
 (アルチュール・ランボー/『見者の手紙』)



アルチュール・ランボーは、19世紀の早熟のフランス詩人であり、
彼は、

 俗人が否とするものの中にこそ詩がある

と信じていて、
詩人になるためにはあらゆる経験をする必要があると考え、さらには、

 自分の経験だけではだめだ。
 他人の経験を自分のものにすることこそ必要なんだ。


と言う。
 (クリストファー・ハンプトン/『太陽と月に背いて』)



 詩人とはあらゆる感覚の、長い間の、大がかりな、
 そして合理的な狂乱化を通して、見者になるのです。
 ありとあらゆる形態の愛と、苦悩と、そして狂気。
 彼は自ら自己のうちなるすべての毒を探求しくみ尽くして、
 その精髄のみを保存しようとするのです。

 (※『見者の手紙』の詳しくは こちら




「あなたは何がしたいですか?」

と問われる時、いつも答える「酸いも甘いも噛み分けられるようになりたい」は、
10年以上も前から傾倒しているアルチュール・ランボーの精神に素地がある。
特にそれは、自分の場合は、“人を想う感情について”に焦点を当てて。


まだまだ自分には経験のない、未知なる感情が世の中にはいくつも在る。
心をすり減らして、身を削ってまで、
そこにある旨味と苦味を、溺れるほどに味わい尽くし、確かめてみたい。



『自己のうちなるすべての毒』 と、 『俗人が否とするもの』 ・・・


そう、たとえ求めるものが間違っていたとしても、
それがどれほど歪んだ高みでも、
自分がそこにこそ最も愉悦と生を感じる限り。
















・・・こんなのただの正当化で、高尚なフリした言い訳で、卑怯なだけなんだろうけどね。



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posted by 蜜 at 23:00| Comment(4) | TrackBack(0) | others>ひとりごと。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
正当化ではありません。
高尚なふりをしたいいわけでもありません。
卑怯なだけでもありません。
蜜さんのその思考、間違ってませんから。

自分の感じ方なんですから
そこで恥ずかしがって言い訳しなくても
いいんじゃない?

ランボーの詩は読むたびに
自分の心の流れによって全然違う印象を
受けますよね。

筒井康隆は虚構船団かなんかで
“誤読の自由”って言ってたけど
それもまた真なりで。

ああ、まとめになってない。
結局心象批評しかできない
文学士のたわごとでした。
Posted by 石井  at 2010年07月22日 22:40
生きることに、YES.
Posted by ジーフゥ at 2010年07月23日 08:52
いえいえ。真摯なコメントをありがとうございます。

石井さんもランボーを読まれてるんですか!
いやぁ・・・『見者の手紙』なんて、あれを若干17歳の少年が言い放っているんですから、
やはり早熟の天才は違うなと。

“誤読の自由”ですか。なるほど。。。

蜜は、自分がブログにあげる文章に対して、
実は“誤読の自由”を読み手に担ってもらいたいと思ってるのかもしれない(笑)
Posted by >石井さんへ。蜜 at 2010年07月23日 11:26
端的なコメント、ありがとうございます。
「自分がそこにこそ最も愉悦と生を感じる限り」
なんて、自分勝手なことばかり考えていますが・・・。
Posted by >ジーフゥさんへ。蜜 at 2010年07月23日 11:34
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